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↑ 1987年宇都宮分校で撮影したUH-1H/41668。
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↑ 1989年の三沢基地航空祭で渡辺明氏が撮影された東北方面ヘリコプター隊のUH-1H/41630
1990年代に入ると、1990年8月に勃発したイラクによるクウェート侵攻が発端で湾岸戦争に発展し、世界中がイラク軍を圧倒するアメリカ軍のハイテク兵器に注目すると共に、兵器の近代化に向けた技術革新が求められるようになる。陸上自衛隊も導入の目玉として、90式戦車、87式自走高射機関砲、89式装甲戦闘車、88式地対艦誘導弾、中マット(対戦車ミサイル)など”ビック5”と言われた新装備の導入に拍車が掛かっていたが、更に湾岸戦争で活躍したMLRS等の導入研究も進んでいた。しかし相変わらずGNP(当時の指標は国民総生産GNPだった)の1%以内と言う予算枠の中で、ヘリの調達もしなければいけない事情があったので調達費は極めて限られた予算内で収める必要があった。中型汎用ヘリの後継機種についての研究はすでに始まっていたが、米軍が使うUH-60は、1機30億円以上の高嶺の花である。UH-1Hの導入価格が7億程度だったから3倍となれば、130機の数量は確保が難しいと考えられた。21年間も予算化されたH型であったが、納入された133機が皆同じ型ではなく、量産91号機からは後期型として多少の改良が付け加えられている。1991年発注分からは、1400shpだった馬力を1800shpにしたH型改が発注されるようになった。エンジンの出力アップで機動性と搭載能力を向上させ、夜間運用能力と防弾版の追加、赤外線妨害装置などで防御力を付けた改良型である。これが後にJ型と呼ばれることになる。
↑ 1987年九州の築城基地で撮影した西部方面ヘリコプター隊のUH-1H/41692。ホイストを使った展示飛行の為、飛来時から扉を外していた。
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↑ 松野氏が1989年に撮影されたUH-1H/41700 量産100号機に当たる機体。後期型でキャビンの窓が追加されている。
↑ 1989年築城基地の航空祭に展示された西部方面ヘリコプター隊のUH-1H/41691。1987年に引き続き飛来時から側面の扉を外して、ホイストの展示を行った。
↑ 1987年九州の芦屋基地で撮影した西部方面ヘリコプター隊のUH-1H/41606。
↑ 1987年宇都宮分校で撮影したUH-1H/41667。